37の菩薩の実践Ⅳ「無執着、利他行」

騎龍観音
騎龍観音 原田直次郎

引き続き、ダライ・ラマ法王の法話による「37の菩薩の実践」をお伝えします。

前回、余りの厳しさにぐったりしました 笑
たぶん、自分の人生で起こったことと同一化してしまったのだと思います。

菩薩様は柔和なお顔をされていますが、菩薩様が歩まれている道は険しいのですね。
強くなければ優しくなれないと良く巷で言われていますが、まさにその通りだと思いました。

19. 知名度があり、多くの人々が頭を垂れ、毘沙門天の財宝と
同様のものを手にしても、輪廻の富には心髄がないと見て、
傲慢にならないこと。それが菩薩の実践である

褒め称えられて傲慢になり、菩提心が衰退する場合があります。

有名と富には、心髄(物事の中心となる最も大事なところ)がない
にも関わらず、人はそれに捉えられてしまいがちです。

20. 自らの敵である怒りを調伏しなければ、外界の敵を倒しても
〔怒りは〕ますます増えていく。それゆえ、愛と慈悲という
軍隊により、自らの心を鎮めること。それが菩薩の実践である。

怒りを調伏することが、菩薩の実践です。

「愛と慈悲の軍隊」と言うところが、泣かせます。

21. 欲望の特性は塩水に似て、飲めば飲むほど執着が増していく。
執着を起こす対象は、どんなものでもすぐに捨てること。
それが菩薩の実践である

これが、欲望への対策だと法王がおっしゃっていました。
欲望は果てしなく、1つが叶えばまた次へと膨らんでいきます。
でも執着を感じるものこそ、手放し難かったりしますね。

22. このように現れてくるこれらの現象は我が心であり、
心の本質は無始の時より戯論を離れている。
真如を知って、主体と客体の特徴(相)に心を従事させないこと。
それが菩薩の修行である

戯論とは〜無意味で無益な言論のこと。

この世に現れる全ての現象は自分の心を映し出しているものです。
その真理を知り、外界での現れに心を従わせないことが菩薩の修行です。

主体(心)も客体(心が現れた現象)も、どちらにも実態は微塵にも存在しない〜 空を瞑想しましょう

それを知ることで、苦はやってこないと法王はおっしゃっていました。

究極の菩提心を起こさせるのは、空の瞑想です

自分自身の心に関連づけて、空を瞑想しましょう。
良いのも悪いもの、怒りの心、執着の心がいかに空であるかに気づくことでしょう。

23. 魅力的な対象に出会った時、それは夏の虹のように美しく
現れるが実体のないものであると見て、執着を捨てること
それが菩薩の実践である

24. 様々な苦しみは、夢の中での息子の死の如く、錯乱した
現れなのに、それを真実と捉えて疲れ果てている。
それゆえ、逆境に出会った時はそれを錯乱と見ること。
それが菩薩の実践である

逆境も、空である。

確かに、逆境と名前が付けられた人生の状況に過ぎないのでしょう。

逆境の中にいる最中は、とてもじゃないけどそう思えない時も多いと思います。

25. 悟りを得るために、身体さえ犠牲にする必要があるのなら、
外界の事物などについては言うにも及ばない。
それゆえ、見返りや結果を望むことなく施しをすること。
それが菩薩の実践である

布施の実践について語っています。

26. 戒律を守らずに、自利を達成することなどできない。
利他行の成就を望むなど、お笑いぐさである。
それゆえ、輪廻の欲望を捨てて戒律を守ること。
それが菩薩の実践である

27. 善行の享受を望む菩薩にとって、害を与える者のすべては
宝の蔵に等しい。それゆえ、すべての人々に怒りや恨みを
持たず、忍耐を修行すること。それが菩薩の実践である

忍耐の修行について、語っています。
あなたに害を与える全ての人々が、菩薩行にとって「宝」と書いてあります!
あくまでも、まずは悪を遠ざけ、良い友人と良い師から学び、無執着を実践し、
その後のことです。
害ある人々を中々宝とは思えない時もありますが、宝と思えたら、
その気づきは素晴らしい。天地が逆転しますね。

28. 自利のみを達成しようとする声聞や独覚も、
頭に火がついたら消そうと努力するのを見たならば、
一切有情のために、功徳の源である精進を始めること。
それが菩薩の実践である

精進についての教えです。

声聞〜釈尊の教えを忠実に実行はするが,自己の悟りのみを追求する出家修行者

独覚〜おのれひとり悟ってよしとする孤高の覚者

これらの人々も、人々のために精進を始めましょうと書いてあります。


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